25世紀前、ハリカルナッソス出身のひとりのギリシア人が決意しました。既知の世界を端から端まで歩き、出会った人すべてと言葉を交わし、見たこと、聞いたこと、聞かされたことをことごとく書き留め、それを世に出そうと。すべてをです。フィルターなしで。そこから生まれたのが、人類最初の歴史書……そして敵対者に言わせれば、ほら話を一冊に詰め込んだ史上最大の大法螺集でもありました。どちらが正しかったのか、これから確かめていきます。ただし、先にお断りしておきましょう。その答えは、あまりお気に召さないかもしれません。
キケロは彼に「歴史の父」の称号を贈りました。その4世紀後、プルタルコスは身も蓋もなく「嘘の父」と呼びました。それから2500年、問いは今も決着していません。どちらが正しかったのか。あとで文句を言われないよう、始める前に私の評決を述べておきます。キケロ、100パーセントです。
命からがら走る少年
紀元前484年。ハリカルナッソスは、現在のトルコの沿岸にあったドーリス人の植民市で、1世紀以上もペルシアの軍靴に踏まれ続けていました。その町で、リュクセースとドリュオーの間に、ヘロドトスという男の子が生まれます。
幼いころのことはほとんど分かっていません。あるのは憶測ばかりです。利発で、質問が多すぎて、「昔からそうなっているから」では決して納得しない、あの落ち着きのなさを抱えた子どもだったのでしょう。この少年がやがて、ひとつの職業そのものを発明することになるとは、町の誰ひとり想像していませんでした。

彼の大人としての人生は、天職の自覚ではなく、恐怖から始まります。従兄弟のパニュアシス――詩人であり、尊敬を集めた人物です――が、ペルシアの傀儡だった地元の僭主リュグダミス2世の命令で、反逆罪により処刑されるのです。ヘロドトスは大急ぎで荷物をまとめ、同じ目に遭わないようサモス島へ逃れなければなりませんでした。

この皮肉に注目してください、読者の皆さん。なかなか上等な皮肉ですから。古代最大の著作は、逃亡から生まれたのです。あの僭主が従兄弟を殺さなかったら、ヘロドトスはおそらくハリカルナッソスで、快適で退屈な、まったく無名の市民として生涯を終えていたでしょう。ところが運命は彼のお尻を蹴り飛ばし、世界まるごとを目の前に差し出したのです。
古代最大の旅人
そして、彼はそれを存分に生かしました。
裕福な家の資金を後ろ盾に、ヘロドトスは当時のギリシア人が夢にも見なかった旅に出ます。ギリシア本土のすべて。エーゲ海の島々。南イタリア。バルカン。黒海。トルコ、シリア、レバノン、イスラエル。ナイル川をさかのぼってエジプトを北から南まで。リビア。そしてペルシアのほぼ全域、つまり今のイランとイラクです。
この旅程を実感できるよう、少し引いて見てみましょう。そうでなければ、地名の羅列は何も語りません。時代は紀元前5世紀です。羅針盤も、信頼できる地図も、大使館も、旅行保険もありません。アナトリアの街道で身ぐるみ剥がされても、苦情を言う相手などいないのです。当時の旅とは、風まかせの何週間もの航海であり、隊商であり、ラバの背であり、二度と戻れないかもしれないというごく妥当な覚悟のことでした。ヘロドトスはそれを何十年も続けました――しかも楽しみのために。
当時のニューヨークともいえるアテナイでは、これ以上ない顔ぶれと交わりました。ペリクレス、彫刻家ペイディアス、詩人ソポクレスといった面々です。その食卓を思い浮かべてみてください。そこで交わされた会話を。
そして紀元前430年ごろ、南イタリア・カラブリアのギリシア植民市トゥリオイに腰を落ち着けた彼は、執筆の席につきます。そこから生まれたのが、全9巻の『歴史』です。各巻にはムーサの名が冠されました。クレイオ、エウテルペ、タレイア、メルポメネ、テルプシコラ、エラト、ポリュヒュムニア、ウラニア、カリオペ。彼は紀元前425年ごろに亡くなりましたが、25世紀後の今も人々がこの書を読み続けているとは、思いもしなかったでしょう。

歴史の父……そして嘘の父
さて、ここで気まずい問いの登場です。この記事のタイトルの由来であり、2000年経った今もすっきりとは片づいていない問いです。
歴史の父という称号は、ほかならぬキケロが彼に贈ったものです。それも当然でした。ヘロドトスは、過去の探究を、方法を備えた学問へと変えた最初の人だったのですから。彼以前にあったのは、神話と叙事詩と王たちのプロパガンダだけです。彼が知りたかったのは別のこと、つまり実際に何が起こったのか、どのように、そしてなぜ起こったのか、でした。彼が使ったギリシア語のhistoríaiは、文字どおりには「探究」を意味します。この語に、今日の意味を与えたのが彼なのです。
ところが厄介なことに、4世紀後にプルタルコスが現れ、麻酔なしの手術のように容赦なく、彼を「嘘の父」と呼んだのです。
しかも、彼には弾薬が十分にあったことは認めざるをえません。ヘロドトスは、アラビアの空飛ぶ蛇について涼しい顔で書きます。ペルシアの砂から金を掘り出すキツネ大のアリについて。一つ目の民について。自分が見たことと聞かされたことを混ぜ合わせ、聞かされたことと、これは面白い話になりそうだと睨んだことまで混ぜ合わせるのです。
というわけで、読者の皆さん、ここは本人に直接ぶつけさせてください。私は自分のヘロドトス・サガの中で、彼と議論するのが習慣になっていますし、ここでもやめるつもりはありません。
「師よ、最大限の敬意を込めてお尋ねしますが、金を掘る巨大アリですか。本気ですか?」
「本気で聞かされたのだよ、デイヴィッド。私は聞かされたことと、この目で見たことを書き留める。そして、その二つはいつも別にしておく。メンフィスの神官たちが、ワニは獲物をむさぼりながら涙を流すと誓うなら、私はそれを書きつけ、誰から聞いたかを記す。判断するのは読者だ。それとも君は、自分の手で触れていないからといって、世界の半分を君の目から隠しておけと言うのかね?」
そして正直、そこで私は返す言葉を失います。肝心な点では、彼が正しいからです。ヘロドトスは嘘をつくのではなく、出典を示すのです。ほとんどの場合、それぞれの話をどこから仕入れたのかを明かし、一度ならず、自分では信じていないが語る価値があると思うので書いておく、とまで付け加えます。これは嘘つきではありません。「ジャーナリスト」という言葉が存在するより2500年も前の、ジャーナリストです。
もうひとつ、笑うのが早すぎる人たちのために。考古学は1世紀かけて、1000年にわたって否定されてきた点で彼が正しかったことを証明し続けてきました。彼の創作だと思われていたエジプトの風習は、本当でした。ペルシア軍の兵站に関する細部も、裏が取れています。有名な巨大アリでさえ、今では妥当な説明があります。金を含む土を掘り返すヒマラヤのマーモットで、そのペルシア語の呼び名が「山のアリ」とよく似て聞こえたというのです。彼は嘘をついたのではありません。誤訳したのです。
クレイオ――歴史がまだ復讐の物語だったころ
第1巻、ムーサのクレイオの巻は、現代の歴史家なら誰も自分の名を懸けようとしない書き出しで幕を開けます。女たちの誘拐譚です。
フェニキアの船乗りたちによるアルゴスの王女イオの誘拐。ティルスからのエウロペの誘拐。コルキスからのメデイアの誘拐。そして最後が、トロイア戦争の引き金となった、スパルタのヘレネーの誘拐です。ヘロドトスにとって、トロイア戦争とペルシア戦争は二つの物語ではありません。同じ未完の書物の章であり、東と西が何世紀にもわたって互いに決着をつけようとしてきた、貸し借りの勘定なのです。
しかし、クレイオの巻の大主人公は、リュディアの王で、既知の世界でいちばん裕福な男、クロイソスです。「クロイソスのような大金持ち」という言い回しは、ここから来ています。そして、アテナイの賢者ソロンとのあいだで交わされる、幸福とは何かをめぐる対話は、誇張抜きに、古代文学全体のなかでも指折りの名場面です。クロイソスは財宝を見せ、自分こそ地上でもっとも幸福な男だとソロンが言ってくれるのを待ちます。ところがソロンは、人は最期を見届けるまでは幸福と呼べない、と答えます。クロイソスは、無礼者としてソロンを追い払います。それから数年後、キュロスの命令で薪の山に縛られ、まさに焼かれようとしたとき、彼はあのアテナイ人を思い出し、その名を声に出して呼ぶのです。
続いて登場するのが、ペルシア帝国の創始者、キュロス大王です。祖父アステュアゲスが、不吉な夢のせいで生まれてすぐの彼を殺すよう命じたため、羊飼いに育てられました。そして彼とともに、この書でもっとも凄惨な場面が現れます。その命令に背いた将軍ハルパゴスに対する、アステュアゲスの復讐です。王は彼を宴に招きます。絶品の料理を供します。ハルパゴスは食べ、褒めます。するとそこへ王が、蓋をした大皿を運ばせ、彼自身の息子の首と手を見せるのです。いま何を食べたのかを、悟らせるために。
ヘロドトスはこれを、形容詞も説教もなく、憤りの一行すら挟まずに語ります。だからこそ効くのです。
なぜなら、批判者たちがいつも見落としている鍵がここにあるからです。ヘロドトスは年代記作者ではなく、語り手なのです。いつ歩みを緩めるべきかを知っています。背筋がぞくりとする細部をいつ差し込むべきかを知っています。そして何より、いつ口を閉ざして、読者に自分で結論を出させるべきかを知っています。それは学んで身につくものではありません。あるか、ないかです。
エウテルペ――エジプト観光の歴史、2500年
第2巻、ムーサのエウテルペの巻は、まるごと古代エジプトの論考です。そして25世紀を経た今も、あの世界について私たちが持つもっとも貴重な記録のひとつであり続けています。理由はごく単純で、彼はそこにいたからです。
彼はナイル川をさかのぼりました。神殿に入りました。神官たちと語り合いました。ミイラ作りの作業を立ち止まって見つめ、聖なる動物たち――ワニ、トキ、猫、コブラ――を書き留め、尋ねさせてくれる人なら誰にでも、ファラオたちのことを尋ねました。

さて、エジプトの案内人たちには、観光客が聞きたがる話を聞かせるという見事な才能がありました。おかげで、いくつかの珠玉の逸話が生まれます。
ファラオのクフ(ギリシア語名ケオプス)は、大ピラミッドの建設費を捻出するために、自分の娘に客を取らせた。しかも娘のほうも、どうせならと、客のひとりひとりに石材を1個ずつねだり、自分用のピラミッドを建てた。ファラオのプサメティコス1世は、人類本来の言語は何かを知るために、新生児2人を、誰ひとり言葉をかけないまま育てさせた――歴史上最初の言語実験であり、同時にもっとも残酷な実験でもあります。そして、トロイアのヘレネーは、実はトロイアに着いていなかった。嵐でパリスとともにエジプトに漂着し、戦争の10年間をそこで過ごした。ギリシア人は、そこにいない女を取り戻すために、一つの都市をまるごと包囲していた、というのです。
この最後の話は、考えてみるとすさまじい破壊力です。ヘロドトスは、自分たちギリシア人の建国叙事詩が、とてつもない誤解だったかもしれないとほのめかしているのです。それをうらやましいほどのポーカーフェイスで語ります。
私の翻案作品Herodotus · Histories Reloaded 2.0(英語版)では、こうしたエピソードのすべてを、今日わかっていることに照らして訂正し、補強し、文脈のなかに置き直しました。本文のあちこちに挟んだ、師との応酬を通して。読者の方々から、この本でいちばん楽しいと言われることの多い、あの掛け合いです。私自身も楽しんで書いています。ただ、おそらく彼のほうが、私の望む以上にうまく弁明するでしょう。
今もなお欠かせない理由
タイトルの問いに戻りましょう。いよいよその時です。
歴史の父か、嘘の父か。正直な答えは、気まずいものです。その両方です。そしてまさにそれゆえに、彼は余人をもって代えがたいのです。
考えてみてください。検証できることしか記さない歴史家がつくるのは、記録簿です。日付、名前、数字。役には立ち、厳密で、そして死んでいます。ヘロドトスがやっているのは別のことです。事実と噂を、観察と伝説を、自分の目で見たことと、本当だと人々に誓われたことを混ぜ合わせる。そして、その混合物から生まれるのは、どんな記録簿にも作り出せないもの、もう存在しない世界の、生きた姿です。何が起こったかだけではなく、人々が何を考え、何を恐れ、何に笑い、どんな物語を自分たちに語って聞かせていたのかまで。
そして、彼がいなければ、古代の半分が欠け落ちてしまうでしょう。
ヘロドトスがいなければ、カンダウレスのことを私たちは何も知らなかったでしょう。裸の妻を護衛に見せたいと言い張ったせいで、王座も命も失った、あの倒錯した王のことです。ペルシア人のゾロアスター教の習俗も知らなかったでしょう。紀元前5世紀のファラオ時代のエジプトを、直接見て記した描写も残らなかったでしょう。ラクリネスというたったひとりのスパルタ人が、地上最強の男であるキュロス大王の前に立ちはだかり、ギリシアの都市にはひとつたりとも手を触れるなと面と向かって告げたことも、知らずにいたはずです。
さらに、認めるのは痛いのですが、まだあります。『300』でも『トロイ』でも『プリンス・オブ・ペルシア』でも、あるいはディズニーの『ヘラクレス』でも、観るたびに、あなたはヘロドトスを観ているのです。あの図像のすべては彼に由来します。ハリウッドは1世紀にわたって、24世紀前に死んだひとりのギリシア人から略奪を続けてきました。
そう、彼は誇張しましたし、だまされもしましたし、ありえないことも書き留めました。それでも彼は、「神々がそう望んだから」で満足せず、「ではなぜ、そうなったのか」と問うた最初の人でした。そして、神話から探究へのあの跳躍は、おそらく人類の精神がこれまでに成し遂げた、もっとも重要な跳躍です。
それ以外のことは、巨大アリも含めて、すべて許されます。




